【占われることの責任】占いは「当たる」のではなく「中る」ものである
近ごろ、鏡リュウジ(1968-)というひとの仕事に関心があって、ちょこちょことつまみ読みしています。その過程で『魂の西洋占星術』(1991)という本を読んだのですが、そこで占いの「当たる・当てる」ことに関する興味深いことが書かれていて、そのことについて考えはじめてしまったことをまとめてみました。
- おこり:占いというもの
- 運命を引き受ける責任
- 占いが〝当たる〟ということ
- 占いが〝中る〟ということ
- 〝当たる〟と〝中る〟
- 助詞のこと:「が」
- 助詞のこと:「に」
- 助詞に基づく2つのスキーマ
- 〈場〉の非自覚的主体性
- 占いに〝中る〟ということ
- 占いの胡散臭さについて
- 人間の環世界と矛盾
- 占いにおける責任放棄的な側面
- 占いにおける責任投企的な態度
- 〈投企的態度〉における絶対的なものと自由意志との婚約
- 占いに〝中る〟ということ
- 占いが象徴的であるということ
- 迷える子羊になるということ
- 否認――表面と深部
- 部分と全体のあいだを調停する
- ひとの血肉としての言葉
- 見えるものと見えないもの
- 占いの因果性
- わが上なる輝ける星空とわが内なる道徳律
- 現実とは切断されたおもしろさ
- おわり:迷い道を探すこと
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映画『クワイエット・プレイス』:あそびと絶叫
映画『クワイエット・プレイス』を観ました。
とにかく音を立てるのはマズいと、予てより観ていた予告映像で訴えられていたわけです。音を立てるとどうなるというのか――ってのが、わたしが観客となった動機。
- 起りーーOf the quiet place(その静寂について)
- ...Just Don't.(……とにかくやるな)
- Keep!(近づくな!)
- 締めーーLearn to me(わかるだろう?)
おれがイケメンだとしたら、世界は異常なはずだった…。
おれの人生のうちには、他のひとがそうであるように、雷に打たれたかのような衝撃的な気づきがいくつかあった。
ここではそのなかのひとつを書いてみる。自分の顔と、異性との関係仕方に関してのエピソードと、その教訓について。
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