書き手はプラットフォームのなかで機械になりたい:試考日記0001(2019年3月15日)
試考日記なんてものをはじめてみます。なるべくチャラチャラ書くことを目指すという代物です。チャラチャラとは何かってのはまだよくわかっていないのですが……。
今回書いてしまったのは「書くこと」に関することです。何を書くのか、どこで書くのか。それと〝どこで書くのか〟ってことが書き手にとってどういう意味を持つのかって話になってしまったようです。最終的には書く機械になりたいという欲望が登場してます。
目次をご覧になって、関心が湧くことがありましたら、お目通しするのも一興かと存じます。
- 試考日記
- 何を書くのか/どこで書くのか
- 何かを書く/どこかで書く
- 読まれるために情報であれ
- 粋な読書家の作文観
- 読者の目で書く
- 自分の目=他人の目
- 未熟な書き手の成長にとって何を書くかは重要ではない
- 未熟な書き手の成長にとってどこで書くかが重要になる
- プラットフォームの構築と機械でいられる環境
- 書く場所を作って感じたストレス
- うまく描く機械になりたい!
- プラットフォームのなかで機械になる
- 書く機械になりたい!
- 不思議な欲望は言葉の綾とは限らない
- エンジニアとクリエイタ
- わたしはいまだに機械になれていない
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【MIHOシネマ】映画鑑賞にとってネタバレとは何か【映画ブログ紹介】
映画のあらすじ解説の総合メディア《MIHOシネマ | 映画ネタバレあらすじ結末》の紹介をします。同時に映画のネタバレとは何かを考え、映画を見るときにわたしたちが映画に対して期待していることとは何かをまとめました。記事の方向としては映画にネタバレはない!――です。
キーワード:映画、映画の観方、ネタバレ、エモさ
- 身近になった映画鑑賞
- MIHOシネマという映画情報サイト
- MIHOシネマはネタバレを......してる
- 映画鑑賞とネタバレ
- 2種類の映画の楽しみ方
- 内容と本質:あるいは言葉でバラせるものと、バラせないもの
- 〝わかる〟以前に映画は〝見る〟ものである
- 「MIHOシネマが教える情報」と「あなた自身が発見する意味」
- まとめ
眼差す主体と生の実感――わたしたちが幽霊であるとすれば。
2018年12月の後半。石井七歩さんのツイートを目撃したことから、ハイデガーの存在への問い、幽霊のような自己、そして眼差す主体としてのわたしたちについての思考を書き出してみた記事。ロジカルなデッサンというよりアイデアのスクリブルかもしれない。800字にするつもりが25000字になってしまった……。(2018/12/24-2019/01/17)
参照人物:ハイデガー、木村敏、内田樹、三浦雅士、フランクル、大原扁裡
キーワード:存在、他者、死者、幽霊、眼差し
- ある朝、Twitterにて
- 存在論的差異
- 〈有るもの〉と〈有ること〉
- 副詞的で、観念的なナニカ
- 副詞的なもの
- 観念的な存在
- ハイデガーの前期と後期
- ひとりの主体からひとつの〈場〉へ
- 明るんだドコカとしての存在者
- 中動態はひとつの経験の場所を提示する
- 《存在者-存在》の転倒
- 存在・死者・他者
- 幽霊として幽霊に眼差されるということ
- リ・ツイート
- 〝死者の側〟からの〝眼差し〟
- 死者の側の眼差しとはどのようなものか
- 〈どうでもよさ〉へと至る眼差し
- 〈あの世〉の自分、〈この世〉の自分を笑わせる
- まとめ
メンヘラがツラいのは言葉の使い方が原因だった!――分析と対策
メンヘラの言葉使いにはいつも不思議なものを感じていました。そこでは〝自分のせい〟か〝他人のせい〟かのどちらかしかないのです。もしかしたら言葉の使い方がメンヘラ状態にあるひとの生きづらさをを生んでいるのかもしれない。そんな観点からまとめてみました。
キーワード:メンヘラ、言葉の使い方、物体化、固着、環境依存性
- メンヘラとは何か
- メンヘラの言葉使い
- 物体化する言葉
- 物体的な言葉
- 解釈の次元
- 気分と情動
- 気持ちに合っているのか、いないのか
- 固着した言葉
- 気持ちと意味
- 固着した言葉
- メンヘラ対策
- Daigo的な処方
- 千葉雅也的な処方
- 誰がメンヘラか