can't dance well d'Etre

経験不足のカラダと勉強不足のアタマが織りなす研究ノート

宇宙人じゃなくて異世界人だったって話

宇宙人じゃなくて異世界人だったって話。
 
わたしは『自己紹介と執筆方針』という記事で、自分が自閉症スペクトラムと診断されたと書いています。世上に何かと昇る発達障害というやつですね。

 

 

phallusexmagia783mea.hatenablog.com

 

しかしこのたび、精神科医との問診のなかで、「きみは発達障害ではない」と言われました。そして来なくてもいいよ、と言い渡されました。

 

文が、突き放されてしまった者の被害届の冒頭文の如き情調を帯びてしまいましたが、わたしは怒髪衝天の心境にはないので、この文章もわりかしリラックスした心持で書いていることをここに述べておきます。

 

 

人生に春夏秋冬とで切れ目をつけるとしたら、わたしは2015年からこのかた発達障害の季節を過ごしてきたといえます。
およそ3年の発達障害者期間でございました。
それも今月、今週の、月曜日、8月20日に区切りがついたわけです。(於2018年8月25日現在)
 
 
発達障害者はしばしば宇宙人の異名を頂戴することがあるといいます。
わたしもそう言われてきましたし、おそらくはこれからもそのように言われもすることでしょう。
とはいえ、わたしは発達障害ではないと言い渡されました。
その意味では発達障害者がそう言われるような宇宙人とは、若干ニュアンスが違ってくるのかもしれません。
なにせ発達障害というものは器質的な障害でありますから、カラダが違ってくるわけです。
ところがわたしは、器質のレベル*1でも、そして今回の問診からわかったところでの性格のレベルでも、障害者と名指すに値するレベルの徴候は見受けられないと言われてしまったのですから。
 
 
わたしは診察に際してその前の診察で課された宿題を先生に渡しました。
そこにはわたしの、自分自身で考えたアスペルガーっぽさが書きつけてありました。
書き上げるのに2時間*2は費やしたであろう箇条書きで書かれたそれ。
 
 
そこに書かれてあった、先生がわたしを発達障害であるかどうかを判断する最も重要なくだりは、わたしが自分を共感能力が高いと断じている文でした。
発達障害にはその能力が欠けている、もしくは弱い。
それを知りながら、わたしも自己分析を書きました。
とうぜんのように、先生はそこに触れてきました。
わたしは順序立てて、自分がそのように確信する根拠を述べました。
それは職場でのエピソードが多くを占めました。
 
 
ひとりの女性が入社してきました。2年前のことだったでしょうか。
彼女はすぐに辞めました。
そのことを周囲の人間は不思議がっていました。
「どうしてやめたんだろうか?」
わたしは彼女が辞めた理由がわかります。
わたしは彼女の表情や動作、声音から、働いているときの心情を我が事のように再生することができたのです。
彼女の意識に現れる職場の空間、その感触。
それに耐えるには彼女はあまりに繊細だったのでした。
わたしはその感じを、彼女が辞めたという状況から読み取れました。
 
これを「共感」や「感情移入」と呼ばずになんと呼びましょう。
 
――このエピソードが決め手になったようです。
 
 
ところで、先生との診察にて、わたしはおおむね次のように言われています。
「きみはひとりだけ別の世界に生きているみたいだね」
発達障害ではないと言われた後で、「それではこの生きづらさはなんなのでしょうか」と尋ねたわたしに、先生は「個性」と答えました。
結局はそこにいくのか…と、わたしは胸中ぼやかずにはおれませんでした。
発達障害と宣って帰還兵の無事を讃える者のごとき握手を差し伸べたのは、先生…あなただったと言うのに。
ある意味では、ハシゴを外されてしまったカタチです。
なにせ2015年以来のわたしは自分が障害を持っていて、自分の生きづらさにはちゃんとした名前があり、そのことに安心を覚え、と同時に、そのような「障害=生きづらさ」に関する研究書を読めば、自分の来し方に、輪郭を与えることができると信じられたのですから。そうして得られた知識のなかから、己れの行く末を決める手立てを見いだせればいいのだと信じられたのですから。
 

人間は、わからないから不安なのであって、不安だからこそ何かに依存するものです。
自分の輪郭として「発達障害」という名を頂戴したことはひとつの安心でした。
しかしそれでも不安は保存されます。
説明ができるからといって、生きづらさが解消するわけではありません。
それが障害というものです。
障害は社会的なものであり、社会の側が変わらずにあるうちは自分の生きづらさは、具体的なものとして切迫してきます。
わたしは「発達障害」の診断をひとつの膜と見立てて、同世代のひとたちが当たり前のように課されている社会関係から身を引いていたのかもしれません。
あるいは、「発達障害」の診断を檻のようなものとして把握し、自分の可能性はこの程度でしかないという口実にしていたのかもしれません。
膜も檻も、〈ひとつごと〉であるわたしの、わたし自身への姿勢を、別の角度から眺めた表現です。
膜は内側から破くことができますし、檻からはどうにかして脱走することもできます。
わかるからこその安心と、安心できるからこその依存――これもまた人間を説明立てる力のある言い方でしょう。
 

依存先は増やしたほうがいいのです。
小学生や中学生が自殺してしまうのは、付き合う人間の一様さによって、目の前の現実が自分の人生を代表するのだと短絡してしまうからです。
ひとりのチンピラに難癖をつけられたことを「ツイてなかったよ」と話せる相手を持つことです。しかもその相手を、家族や職場やサークルや…多様に持つことが大事なのです。
 
 
わたしは「発達障害」だけを依存先にしてしまってはいなかったでしょうか。
自分が「発達障害であること」も、〝あるひとつの〟依存関係にすべきです。
幾つかあるうちの、ひとつの依存。
それだけに依存していては、「あのひとは発達障害である自分に対してなんて態度を取るんだろうか!」なんて憤りを他人に対して抱いてしまうかもしれません。
わたしは現に、そのような感情を味わったことがあります。
安心して依存できていたものによって、不安を感じる感性が芽吹いていたことは皮肉なことです。
 
 
――とまぁ、かくして、わたしの人生史上での「発達障害の季節」は終わりを迎えたわけです。
依然として、生きづらさは健在ですが。
次の季節はなんと呼ぶことになるのやら。
それがわたしの生きざまが決めることでしょう。
わたしの人生がわたし自身に要求することとの付き合いのなかで、おのずと輪郭づいていくことでしょう。
 
 
わたしはあの医者をうらみません。
「恨む」というルビは当てたくありません。
もし、うらんでしまうにしても、せいぜい「憾む」という字をルビに――つまり、残念に思う程度にしたいです。
おもしろく生きたいのでね。
 
 
おそらくは。
時間を返せと被害者ぶることもできるでしょう。
まぁ、それを今更言っても仕方ないのですが。
わたしはことば遊びをして、この現実を茶化すことにします。
 
 
このたび、宇宙人から異世界人になりました。以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、向後万端引き立ってよろしくお頼み申し上げます。*3
 
なんてね。
 
 
_了

*1:厳密には器質的にはどうなのかは曖昧です。以前、脳の撮影をしたおりには、医者から〝ふつう〟の脳波と違った特徴を指摘されましたものの、それが器質的な異常だと診断するには当たらなかったのです。この点でもわたしはグレーゾーンに属していました。

*2:とはいえこの2時間のために、1ヶ月ほどの準備期間もあって、その間に自閉症スペクトラムに関する文献を3冊ほど読んでいます

*3:宇宙人は正直なところわりと気に入っていたのすが、異世界人も昨今のアキバ系オタク文化の動向と重ねてみるとおもしろいかもしれないので、悪い気はしないです。もしくは宇宙人と字数尺を合わせて「異界人」という言い方も素敵かもしれませんね