can't dance well d'Etre

経験不足のカラダと勉強不足のアタマが織りなす研究ノート

【人生に盟友を!】人生の名優たちについて

人生に盟友を!その人物はまた名優にもなることでしょう。(2018.9.3-11.27)

キーワード:盟友、名優、時代、人生

 

人生の盟友を――

2018年の4月11日、水曜日の日付で、わたしはメモ帳に次のように書いています

人生の盟友/名優を増やしたい。

(2018.4/11.Wed.16:53)

以上のメモ書きをしたのは、前日に池田理代子の『ベルサイユのばら 14 』を読んだことが大いに影響しています。それを読んだわたしは、「激動の時代を共に駆け抜けた盟友たち」というような文を読んだつもりだったのですが、該当する箇所が見つからないのです。しかしその本を読んだことで得た着想であることは間違いがないのですから。

本記事で試みるのは、わたしの得た着想およびそれを受けてのメモ書きから展望できる認識を書きつけることです。

「人生の盟友」とは何か。

その言葉に意味を備給するために、文を連ねていこうと思います。

 

 《ベルサイユのばら》による備給

  フランス革命以前から以降を描いた歴史ロマンのマンガ作品である《ベルサイユのばら》は、オスカルとアンドレの悲恋を越えてなお革命の余波を残し、王妃アントワネットの死さえも見届けたロザリーの視点で描くシリーズの真のエピローグが『ベルサイユのばら 14』です。

ロザリーにはフランソワという息子がいます。

本作ではしばしば「歴史」「時代」「時間」などが取り上げられ、激動の舞台に立たされた〝人生たち〟がどのような配役を与えられ、そしてそれを演じることになったのかに焦点が当てられます。

ロザリーは(後に歴史家が格をつけることとなる)歴史上の多くの名優たちを見送り、そして革命の波の収束を感じつつ、時代の終わりを想うのでしたが、そんななか、彼女の息子であるフランソワは新しい時代を胚胎しつつ、自分たちの時代へと人生を決めるのです。 

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(池田理代子ベルサイユのばら14』集英社,2018)

ロザリーのフランソワへの見送りは、同時に彼女が駆け抜けた時代への見送りでもありました。オスカルが逝き、アントワネットが逝き、そして最愛の夫ベルナールが逝った時代への見送り。つまりそれは、盟友たちと共に生きた時代への、さながらレクイエムの如きものなのでした。

あるいはオスカルの親友であるフェルゼンの妹であるソフィアが、兄フェルゼンの死の後で嘆じる言葉は、盟友たちへの哀悼と、名優たちが活躍した時代の幕引きを予感させるものです。

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(池田,同上)

この、同時代を共に生きた者たちと共にあり、そしてやがては次の時代へと終息していくこと、それを痛切に感じるその感覚こそ、わたしに着想を授けた境位に思われます。

 

東京ラブストーリー》による備給

他方、わたしは2018年7月25日に柴門ふみの『東京ラブストーリーAfter25years 』を読みました。

1991年に放送されたドラマ版が有名で、主題歌である小田和正の「ラブストーリーは突然に」も爆発的なヒットを記録しました。

2016年には『東京ラブストーリー』から25年後のストーリーを描いた『東京ラブストーリーAfter25years』が連載され、翌年には単行本が発売される運びとなりました。

ストーリーは男2人と女1人の地元を同じくする同級生の3人に、破天荒で天邪鬼な女1人による、高度経済成長期つまりバブルに湧く日本を背景にした大都市東京での恋愛譚です。4人はいろいろあって、そのうちの2人が結ばれることとなります。あとの2人は別のひとと人生を共にすることになります。それが88年から90年に掛けて連載し、91年にドラマ化したストーリーだったのでした。――その25年後。25年後に、4人はまた集まることになります。

わたしが「人生の盟友/名優を増やしたい。」と記したあのメモに関連させることが期待できるように思われるのは、以下のシーンです。 

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(柴門ふみ東京ラブストーリーAfter25years』小学館,2017)

わたしは右ページ下にある「人生を並走してきた者だけが見ることのできる景色」という文言にたいへん胸を揺さぶられます。いわば、これもひとつの〝同時代〟を表しているのです。

  • 人生の盟友――それは、同じ時代を生き、そして互いに出会い、互いを気に掛け、互いを見送り合う、そんな関係。

東京ラブストーリーAfter25years』においても、4人のあいだには歴史があり、時代があり、時間があります。そこに通底しているのは〝共に並走してきた〟という付き合いの事実です。一朝一夕ではなく、じっくりと時間を掛けて発酵させた年輪のごとき関係の層。それが不意にひかり出す瞬間というものがあり、それが引用した作品の終幕でもある海辺の情景なのです。

そこに立ち上る感動は何か。

――それこそ、人生の盟友を感じている人物の心境に自分を投入することによるものでしょう。

彼ら4人はまた、それぞれがそれぞれの人生の舞台劇における名優でもあります。おまえがいなかったら今のおれはいなかった。そんな関係が、互いが互いにとって無関係ではなかった人生を生きた結果、事後的に互いが互いの人生にとって重要な位置づけに置かれていることを、つまりは名優であることを規定しているという事情があります。

要するに、「盟友=名優」というわけです。

 

人生の盟友/名優を増やしたい!

わたしたちは《ベルサイユのばら》と《東京ラブストーリー》という異質な作品を照らし合わせてみました。それらに読み取れる共通の感動として、同じ時代を生きた者同士が、互いの人生にとっての盟友であり名優であるという事情がありました。そしてそれはまた時代がやがては、いずれは終息していくことを含意していて、その意味で儚く、儚いがゆえの美しさを醸す仕儀を呈したわけです。

人生の盟友/名優を増やしたい。

(2018.4/11.Wed.16:53)

わたしが以上のごとくメモ書いた心境も、これで多少は理解可能なものになったのではないかと存じます。

人生に盟友を求めれば、約束された感動がある――そう思えます。その人物は自分の人生の名優にもなり、舞台に華を添えてくれることでしょう。

シェイクスピアは世界を劇場に見立てて誰もが役者だと言いました。ロックバンドのQUEENは「〽The show must go on. 何があってもショウは続く」*1と歌い、鬼龍院翔は「Life is SHOW TIME」というタイトルの曲を書いています。――ただの比喩に過ぎないと理解することは簡単です。しかし、なんら見立てを構えない人生は味気ないでしょう。それこそ感動できません。

自分の人生を演劇するのも、観劇するのも自分なのだとしたら、ショウの演出を凝らないでも構わないと言えます。とはいえ、凝ってもいいわけです。凝らないでもいい。そのうえで、凝りに凝ってみる。そのために、誰か、自分の舞台に相応しい人物を招いてみたくはありませんでしょうか。

同じ時代に生きていることで、わたしたちは同じ舞台を共有しているのですから。

 

_了