【800字】SF的想像力~偉大なゲームの創始者とプレーヤーが同じ世界で生きているということ~【デッサン#2】
実験的にエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズの2回目です。字数は800字。相変わらずデッサン的な感覚で書いてみたいなぁというノリです。書く内容はSF作品の設定をネタに。それでは以下より。
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SF作品ではしばしばディストピアな世界が描かれます。
スピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』(以下レディプレ)では人々が「オアシス」という大きなゲーム世界(=VR世界)に夢中になっていますが、主人公が起居するスラム街では車両が山と積まれ、ゲームの世界の豊かさと比べて荒廃した現実世界が写されています。
荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』(以下ジョジョ)で、黒幕の大統領が、この世界と異世界とを行き来する能力がありながら、〝あのお方〟(イエスのこと。あるいは神=GODのことですね。)がいる〝この世界〟をこそが重要なのだというこだわりを持ちます。私は異世界に対するこの世界へのこだわりの意味が長らく気懸かりでした。
SF作品におけるディストピア設定を想えば、この世界に救い主としての超越者が存在するなら、それは他の世界があることの基礎付けにもなります。
『レディプレ』に戻りますと、ゲーム世界内の社会的評価が現実にそのまま反映されることは、荒廃しているはずの現実世界が、ゲーム内的であると同時に社会的であるような価値を生み出すプレーヤーが実在する次元として意味を持つことを示唆しています。
『ジョジョ』へと向き直りますと、あのお方がいるこの世界が、他の世界を世界たらしめる価値の源泉の位置に置かれるという認識を得られはしませんでしょうか。〝あのお方〟がいる世界は、つまるところ、人間が神と共に実在することができる唯一の世界なのです。『レディプレ』の世界観で言えば、現実世界がこの世界で、ゲーム世界が異世界だというわけです。そして現実世界は「オアシス」の創始者が実在している世界であると同時に、プレーヤーが生きられる唯一の世界でもある。
穿った眼で見れば、以上の如きSF的な思考は「ユートピアはディストピアによって基礎付けられる」という視線が読み取れそうで、憎い。
_了
参考資料
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