can't dance well d'Etre

経験不足のカラダと勉強不足のアタマが織りなす研究ノート

【800字】自分の世界があれば、おのずと観点が【デッサン#3】

冒険的にエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズの3回目です。字数は800字。相も変わらずスクリブルでもするような感覚で書いてみるノリ。書く内容は世界観のことについてを。それでは以下より。

 ~~~

思い出しては首をかしげることになる言葉のひとつに〈〽男には自分の世界がある〉があります。ピートマックJr.が歌う「ルパン三世のテーマ」です。私はそれを昨今ビジネス界隈で言われる「世界観を持て」という言説と、どこか関連しそうな気がしてます。おそらく、作詞者が書きつけた意図とは無関連に、純粋に言葉の動き方を観察するという観点で。


ルパン三世のテーマ 歌詞付

男には自分の世界がある。それはいい。でも女はどうなの?――むろん、それは女にもあっていいし、ビジネス的な発想からは是非とも持つべきだと頷いて見せてもいいのです。しかし「世界観を持て」の言い方は、逆を張れば、世界観を持たないひとがいる、もしくは少なくないがゆえに効果を持つものだと見て取れます。

世界観とは何でしょうか?

人や作品、創作物を褒めるのに用いられる「世界観がいいよね」という言い方があり、更に大塚英志が指摘するような歌舞伎での作劇において共有される時代背景や事件消息などを含んだ〈世界〉の概念などを思うと、世界観が自己の判断や表現をするに当たってのリソースであり、システムであり、スクリプトであり、フレームであるという認識を得られます。

以上を受けて「自分の世界」を「自分の世界観」と読めば、それは社会的な通念や常識に必ずしも一致してはいないオリジナルな価値観を根拠にして、判断や表現をする態度なのだと了解できます。

f:id:dragmagique123:20181214035558j:plain

世界観を持たないひとと聞いて私が浮かべるのは、たとえば、読んだ本の感想を言えないひとです。これは本に限ったことではありませんが、それを鑑賞したのに感じたものを持たないままにいる。それはつまり〝観点を持っていない〟のです。観点は必ずしも社会的領域に属する必要はありません。むしろそれだと世界観を持たないことと同義になりさえする。そうした意味では男も女もないわけです。「自分の世界」さえあれば、おのずと観点は産出される。それゆえに世界観は要請されるのですね。

_了

 

参考資料

 

 

ルパン三世のテーマ

ルパン三世のテーマ

 

 

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)