can't dance well d'Etre

経験不足のカラダと勉強不足のアタマが織りなす研究ノート

【800字】「恋人探しは似た者同士がいいのかどうか」を脱構築する【デッサン#5】

即興的にエッセイ調で字数を決めて書くシリーズの5回目。字数は800字。この記事では恋愛関係に格言調で言われる、似た者同士がいいのかどうかということをネタに自他関係の心得的なものを書きました。以下より。

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やがて結婚にいたるかもしれない恋愛関係。その関係をより良くするためのお節介なお言葉が、世には溢れています。私はそんなお節介のなかには見解を対立させるものもあり、そうした対立のひとつについて考えてみたく思います。

恋愛関係において、似た者同士である方がいいのか、否か――これです。

似た者同士というのは趣味であったり性格であったりライフスタイルであったりのことだと言っていいでしょう。婚活イベントにおける趣味覧に記載されているものですね。それが一致しているかどうかで、〝そういう関係になる〟ことの是非を決めようという趣向ですね。

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似た者同士がくっつくというのはイメージが難しくありません。気が合うことは、当人同士に何かしらの共通点がベースにあると忖度できます。それは簡単であり、当然であると言ってもいいでしょう。ゆえに、自分と似ているかどうかで、恋人探しをする姿勢はまっとうな判断だと思われるわけです。

他方で、人と人とが結ばれる恋愛そして結婚の醍醐味を、「まさか自分がこんなヤツと一緒になるなんて!」という、不如意な取り合わせが実現してしまうことだ――と捉える認識もあります。こちらは人と人との関係をある種の合理性のなかに閉ざしてしまわないようにするかのような、自分とは異なる人へのリスペクトがあり、やはりまっとうであるように思われます。いわば、似て非なる者同士、というわけです。

とはいえ、似た者同士でも似て非なる者同士でも、それを恋人探しの理念として教条化してしまった場合には、どちらも自分にとっての如意な相手探しに落ち込んでしまいます。

自他関係はいつだって不如意です。それゆえにあらゆるお節介は不如意なものの如意的還元になってしまいもする。世に跳梁するあらゆる関係は不如意であり、如意的であらざることを心得なくてはなりません。で、あるからこそ悲劇的であることをも含み得、関係性が別様に変移もし得るのです。

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_了