映画『グレイテスト・ショーマン』:最も偉大なマイノリティであれ!~フリークスであることの栄光に関する覚書
映画『グレイテスト・ショーマン』を見ました。
おもしろかったです。
でも、ただ「おもしろかった」だけで終わらせるのは惜しい。それくらいに〝ナニカ〟を感じる映画体験でした。
なのでその〝ナニカ〟をたしかめるためにも記事にすることにしたのです。
わたしは『グレイテスト・ショーマン』を見て、この映画から「人生には希望があふれている」というメッセージを受け取るひとが多いだろうと感じました。〝夢を見ることの希望〟と言ってもいいでしょう。
なんにせよ、ポジティブであることはたしかです。
とくにフリークスという〝ユニークな人々〟が登場して、彼らもまた誰に邪魔されることのない絶対的なものとしての自分の夢を追い求める姿は感動的です。
主人公もまたまずしく、映画冒頭の様子などは思い描いている夢とは絶望的なへだたりがあるように思われます。
なのに、あきらめない。
夢を追うことは自分に与えられた当然の権利だとでも言わんばかりに、夢に向かって突き進むのです。
映画『グレイテスト・ショーマン』が、ひとの人生について、とくにひとが自分の夢を追うことについて何かしら重要なことを語っているとしたら、それはなんだろうか?
わたしは考えはじめ、そして――この記事を書き上げました。
- この記事の構成について
- 『グレイテスト・ショーマン』の概要
- ①人生は一度きり!冒険しよう!
- ②他人の目なんて気にしないで!あなたはあなたなんだから!
- ③マジョリティの安心感なんてクソ!むしろフリークス(マイノリティ)であることの栄光に浴せ!
- あるひとつ感想:フリークスとしての自覚を持つことが大切である
この記事の構成について
この記事ではおもに『グレイテスト・ショーマン』〝に〟見た3つの観点を書きつけました。
当記事では、わたしが見た3つの観点を点検するかたちで、ひとつの感想へとつなげます。
以下が3つの観点となります。
- 人生は一度きり!冒険しよう!
- 他人の目なんて気にしないで!あなたはあなたなんだから!
- マジョリティの安心感なんてクソ!むしろフリークス(マイノリティ)であることの栄光に浴せ!
以下、追って確認していきましょう。
『グレイテスト・ショーマン』の概要
まず、『グレイテスト・ショーマン』*1という映画のあらすじをご紹介します。
他サイト様の記事からの引用ですが、ネタバレなしのかたちのものを下に載せます。
- 仕立て屋の手伝いをしていた貧しいバーナムは、令嬢のチャリティと出会う
- ふたりは結婚して、つましい暮らしの中ふたりの娘に恵まれて幸せに暮らすが、バーナムの勤めていた会社が倒産してしまう
- アイデアマンのバーナムは以前の会社から持ち出した船の証明書(海底に沈んでいる)を担保に銀行から融資を受け、蝋人形などが展示された博物館を買い取る
- 当初はまったく繁盛しなかったが……
- あるとき娘の「生きたものを置かなきゃ」ということばがきっかけで、ユニークな人たち(フリークス)を集め始める
- 小人症の男、大男、髭の濃い女、全身刺青の男、結合双生児の兄弟など、世間から隠れるようにして生きていた人々を集め、サーカスを結成
- ショーは人気を博すが、その後さまざまな困難に見舞われる
話としては〈みじめな人々〉の決起という印象があります。主人公自身も出自が貧しく、みじめです。しかし彼――バーナムには夢がありました。ひとことで言えばそれはグレイテスト・ショーマンになることです。
ショーマンはエンターテインメント精神の体現者です。ひとを楽しませることが、仕事。グレイテスト・ショーマンとは、ひとの娯楽に大きな貢献を果たしたショーマンです。脚光を浴び、胸を張って、満員の観客から喝采を受けてステージに立つ。それがバーナムのグレイテスト・ショーマンのイメージです。
グレイテスト・ショーマンになる夢のためにバーナムはサーカスを立ち上げます。サーカスの演者は生まれつき体質が他の多くのマジョリティとは違っている人々。バーナムは彼らのユニークさに注目をし、日常の場面では陰口の対象になりがちな彼らをステージに立たせるのです。ユニークな彼らはフリークス。バーナムの劇場は、日増しに客足を増やしていきます。
①人生は一度きり!冒険しよう!
『グレイテスト・ショーマン』全体のテーマとして挙げられるもののひとつには「夢をあきらめてはいけない!」だろうと見ることができます。
主人公のバーナムの生き方はまっすぐに、逆風をもろともせずに求めるものをつかんでいきます。バーナムの姿は英雄的です。神話のなかの存在のようにして、ほとんど垂直に自分の理想へとのぼりつめていきます。
バーナムの姿からは、夢をあきらめる人生なんてとても生きるに値するものじゃない!だからこそ冒険しなければならない!――そんなメッセージを受け取れるのです。
以上が、第1の観点です。
②他人の目なんて気にしないで!あなたはあなたなんだから!
他人の目を気にすることなく自分自身になる
『グレイテスト・ショーマン』の観点の2つ目には、世間の常識は自分の参考にすべきなのはたしかだろうけれど、しかし真に受けてやる義理はない!――というメッセージが挙げられます。
「どうせ無理だよ」「叶いっこないよ」などの他人の言葉をいかに真に受けずに自分の目標に向かって突き進むことができるのか。これは夢を追う者にとっては多くの場合に厄介な問題となって立ちはだかります。
『グレイテスト・ショーマン』ではフリークスというマイノリティが登場します。彼らは自分のアイデンティティを〝貶められている〟という形で、マジョリティによって剥奪されています。
つまり、フリークスは他人の目を気にしているがゆえにアイデンティティを得られない人々の典型なのです。
バーナムは自身の夢を叶えるために多くの他人(マジョリティ)の目を参考にしこそすれ、真に受けないできました。バーナムは自身の夢を追う過程でフリークスたちにアイデンティティを獲得するための場を提供することになります。
バーナムがフリークスたちに与えた場こそ、マイノリティであることの誇りを示せる場所だったのです。言い換えれば、他人の目を気にすることなく自分自身になれる場所だったのでした。
夢を追いかけることは〈自分が自分であること〉にとっては絶対的なものである
他人の目はときには自分が自分であることの安心感を与えもします。仕事をしているときに上司やお客様の前でバツの悪い思いをせずにいられるのは、自分の姿が上司やお客様という他人の目にまともに映っているだろうということを確信しているからです。
けれども他人の目は不安の発生源にもなります。上に挙げた職場の例で言えば、〝自分がちゃんとしているかどうか〟は他人の目によって決まってくるのですから。もしも他人から不審の目を向けられていたら、それはそのまま自分自身への不信感につながります。
バーナムのように自分の夢を追いかけるのには、少なくともフリークスが元々陥っていたような自信をなくしている状態ではいけません。自信を持って夢を追いかけることは、〈自分が自分であること〉にとっては絶対的なものです。
自分自身と自分の夢の関係の絶対性を維持することが大切です。もしも他人の目が〈自分が自分であること〉に多大な影響力を働かせているとすれば、それは〈自分が自分であること〉および自分自身と自分の夢の関係が相対的なものになっているのですから。
『グレイテスト・ショーマン』から教わることができるのは、他人の目に対するある種のどーでもよさです。他人の目を真に受けずに〈自分が自分であること〉(=あなたはあなた)への真摯な姿勢を貫くこと。それが夢を追う者にとって大切なのだ――そのような観点を立てることができるのです。
以上が第2の観点になります。
③マジョリティの安心感なんてクソ!むしろフリークス(マイノリティ)であることの栄光に浴せ!
自分のことをマジョリティだと思っている人たちの醜さ
第3の観点は、マイノリティであることの栄誉に関することです。もしくはマイノリティであることを選ぶことの栄誉……と言ってもいいでしょう。
どういうことかと言うと、『グレイテスト・ショーマン』のなかで目につくことのひとつが〝自分のことをマジョリティだと思っている人たちの醜さ〟なのです。
たとえばサーカスのなかで〝自分らしさ〟を取り戻そうとしているフリークスたちのアイデンティティを剥奪しようとしているのは、マジョリティ。自分自身を大多数だと思い込んで憚らない、連帯した群衆です。
はたまた由緒ある家の息子がフリークスうちのひとりの女性とデートしているときに父親から言われた言葉。父親は女性のことを「使用人」と呼んで、息子には〝ふさわしくない〟と言いました。父親は自らの考え方を権威のあるものだと信じて疑っていない。そんな事情がうかがえます。
どちらの例も〝自分は優勢な側に属している〟という自意識のなせるワザです。
要するに、『グレイテスト・ショーマン』ではマジョリティであることは、マイノリティであることよりも品性の劣ってしまいがちな存在だと映しているのです。
マジョリティの堕落とマイノリティの躊躇
たしかに、マジョリティの側に属していることは安心感を得られることでしょう。多数派から孤立しないでいられる安心感は、かんたんにマイノリティに対する優越感へとなり変わります。マイノリティを見下ろすことができれば、そのこと自体がアイデンティティ保証することにもなるでしょう。〝よりどころ〟というわけです。だからこそマジョリティは堕落してしまう可能性に開かれてもいるのです。
立たされているポジションからすれば、マイノリティの側も性格を歪めてしまいかねません。大勢のひとから貶され、アイデンティティもボロボロになってしまっていては、ろくにバーナムのように夢を追いかけることもできません。自分が一人前に夢を思い浮かべることさえ躊躇してしまうことだってあるでしょう。
――しかし『グレイテスト・ショーマン』では、フリークスたちにサーカスという居場所が与えられました。
フリークスたちの居場所は外から安心感だけがあったというわけではありません。むしろ敵を作り、心無いひとたちの的にさえなり、不安な境遇でもありました。しかし彼らフリークスはいまやひとりではなく、サーカスの一員として、マイノリティとして、連帯することのできる仲間がいました。
自分たちは優勢でおまえたちは劣勢なのだと連帯して迫ってくるマイノリティに、たったひとりで晒されることがないのです。
フリークスのロジックは「みんな違ってみんないい」
興味深いことがあります。フリークスたちの連帯には、互いのフリークスとしてのユニークさのあいだに優劣意識がないのです。
マイノリティとしてのフリークスはそれぞれが特徴的な個性を持っています。そうした個性はフリークス同士で均質化する必要がありません。なぜなら彼らはそうした特徴によってフリークスなのですから。フリークス(マイノリティ)は「みんな違ってみんないい」のロジックなのです。
しかしマジョリティの場合は事情が違います。
マジョリティの側の人々は互いを違っていない調整する必要に駆られるのです。ひとと違っていてはマイノリティだと思われて貶されてしまう......云々。言ってしまえば、マジョリティは「みんな揃ってみんないい」のロジックなのです。
小難しく考えなくても、みんながみんな一直線に揃っていることは個性的であることの対極です。
第1の観点として確認した『グレイテスト・ショーマン』のテーマに見える「夢をあきらめてはいけない!」を思い出しましょう。そして第2の観点で確認した自分の夢と〈自分が自分であること〉との絶対的な関係。――以上のふたつは夢を追うことの意味について示しています。まとめれば、夢を追いかけることは〈自分が自分であること〉の絶対性によって成立しているのです。
言い換えますと、自分の夢は他の誰の夢によっても埋め合わせることができないのです。なぜなら、それは〈自分が自分であること〉にとって絶対的なのですから。つまりは、絶対的なものである夢は自分が個性的であることにおいてのみ実現するのですから。
あるひとつ感想:フリークスとしての自覚を持つことが大切である
以上から、マジョリティであることの安心感はときに〈自分が自分であること〉ないしは〝夢を追う者〟にとっての堕落を招きかねないのです。その逆、フリークス(マイノリティ)であることは、マジョリティが「みんな揃ってみんないい」の立場に陥りがちなのに対して、「みんな違ってみんないい」の視点を確保しやすいポジションなのです。
フリークスはときに大勢から石を投げつけられもします。しかし第3の観点としてここまで確認してきたように、フリークスであることは『グレイテスト・ショーマン』を見る限りはむしろ〈自分が自分であること〉の絶対性に開かれた存在だとみなせるのです。
なので、第3の観点から見る『グレイテスト・ショーマン』から引き出せるメッセージは以下のようなかたちをとります。
わたしたちは安易に自分自身をその他大勢と重ね合わせてしまうのではなく、むしろ自分もまたフリークスであるという自覚を持つことのほうが大切なのではないでしょうか。
仮に、どちらが人間としての栄光に輝く立場だろうかと考えてみると、少なくともこの記事の見立てからはマイノリティ(フリークス)であることのほうに軍配があがるように思われるのです。
_了
*1:未見のかた、もしくは既に鑑賞されたかたで映画の内容を確認したいかたは、以下のリンク先をどうぞ。ネタバレありでのあらすじなどを読むことができます。