can't dance well d'Etre

経験不足のカラダと勉強不足のアタマが織りなす研究ノート

【創作とは何か】マッチュの描いた芸術家の精神構造【詩へいたる病】

こんにちはザムザです。東京都美術館で開催されている『クリムト展 ウィーンと日本 1900』に行ってきました。そこでクリムトについて感じたことを書いてみようと思い、いざ書きだしてみたらマッチュが主役になってしまいました。というのもクリムト展にはク…

映画『グレイテスト・ショーマン』:最も偉大なマイノリティであれ!~フリークスであることの栄光に関する覚書

映画『グレイテスト・ショーマン』を見ました。 おもしろかったです。 でも、ただ「おもしろかった」だけで終わらせるのは惜しい。それくらいに〝ナニカ〟を感じる映画体験でした。 なのでその〝ナニカ〟をたしかめるためにも記事にすることにしたのです。 …

映画『ナポリの隣人』:通訳者は弁護士をウソつきと解釈する

2019年3月12日に映画『ナポリの隣人』を観ました。ジャンニ・アメリオ監督の映画です。ひとつの家族のすれ違いを、移民問題を抱えるナポリを背景にして映した作品。実の家族でうまくいっていなかった関係を、移民である隣人家族との関係ではうまくいきそうに…

なぜ本当に書きたいことは書き出すことができないのか:試考日記0002(2019年3月16日)

ふと思ったこと。とりあえず、わたしは書いているけれど、本当に書きたいことのほとんどがまだ手つかずのままなんじゃないだろうか。これってヤバい。なんのために考えているんだ!なんのために書いているんだ!――この、一種の欠落感について、書いてしまっ…

書き手はプラットフォームのなかで機械になりたい:試考日記0001(2019年3月15日)

試考日記なんてものをはじめてみます。なるべくチャラチャラ書くことを目指すという代物です。チャラチャラとは何かってのはまだよくわかっていないのですが……。 今回書いてしまったのは「書くこと」に関することです。何を書くのか、どこで書くのか。それと…

【MIHOシネマ】映画鑑賞にとってネタバレとは何か【映画ブログ紹介】

映画のあらすじ解説の総合メディア《MIHOシネマ | 映画ネタバレあらすじ結末》の紹介をします。同時に映画のネタバレとは何かを考え、映画を見るときにわたしたちが映画に対して期待していることとは何かをまとめました。記事の方向としては映画にネタバレは…

眼差す主体と生の実感――わたしたちが幽霊であるとすれば。

2018年12月の後半。石井七歩さんのツイートを目撃したことから、ハイデガーの存在への問い、幽霊のような自己、そして眼差す主体としてのわたしたちについての思考を書き出してみた記事。ロジカルなデッサンというよりアイデアのスクリブルかもしれない。800…

メンヘラがツラいのは言葉の使い方が原因だった!――分析と対策

メンヘラの言葉使いにはいつも不思議なものを感じていました。そこでは〝自分のせい〟か〝他人のせい〟かのどちらかしかないのです。もしかしたら言葉の使い方がメンヘラ状態にあるひとの生きづらさをを生んでいるのかもしれない。そんな観点からまとめてみ…

【800字】別れとその後の感謝について【デッサン#8】

年の瀬に脳裏に去来するままにエッセイ調で字数を決めて書いてみた、800字デッサンのシリーズ第8回目。仕事を辞めたその余韻のなかで考えたことについて。別れることで感謝できるってこと。それでは、以下より。

【800字】労働への恐怖――能力源は労力高へと縮減される【デッサン#7】

指の赴くままにエッセイ調で字数を決めて書いてみるシリーズの7回目。字数は800字。ふわふわと書いてみました。ひとりの7歳児の経済活動への嫌悪感についてを後付け的に説明してみる試み。それでは、以下より。

【800字】学ぶことは真似ること――あるいは使用の意味と意味の備給【デッサン#6】

即興的にエッセイ調で字数を決めて書くシリーズの6回目。字数は800字。この記事では〝学ぶこと〟が〝真似ぶこと〟であると言われる理由を書きました。使用例を使用することの意味について、ですかね。以下より。

【800字】「恋人探しは似た者同士がいいのかどうか」を脱構築する【デッサン#5】

即興的にエッセイ調で字数を決めて書くシリーズの5回目。字数は800字。この記事では恋愛関係に格言調で言われる、似た者同士がいいのかどうかということをネタに自他関係の心得的なものを書きました。以下より。

【800字】読者へ。読者として ~教わった通りに読むことと自分自身の隠蔽~【デッサン#4】

冒険的にエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズの4回目。字数は800字。勢い込んで書いてみます。この記事では素朴な読者の文の読み方をネタにして、読者になるとは何なのかについてを。以下より。

【800字】自分の世界があれば、おのずと観点が【デッサン#3】

冒険的にエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズの3回目です。字数は800字。相も変わらずスクリブルでもするような感覚で書いてみるノリ。書く内容は世界観のことについてを。それでは以下より。

【800字】SF的想像力~偉大なゲームの創始者とプレーヤーが同じ世界で生きているということ~【デッサン#2】

実験的にエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズの2回目です。字数は800字。相変わらずデッサン的な感覚で書いてみたいなぁというノリです。書く内容はSF作品の設定をネタに。それでは以下より。

【800字】顔と鏡と世界の印象【デッサン#1】

どうも、ザムザです。試みにエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズをはじめたく思います。字数は800字。デッサン的な感覚で書いてみたいなぁというノリです。書くことは即興で、それでは以下より。

映画『モリのいる場所』:ある無一物な芸術家の肖像

『モリのいる場所』という芸術家の日常を扱った映画を観て考えさせられたこと。芸術家というものを言い表すのに主体という言葉では役不足だという観点から、デカルトやカントを経由して、自然を反映する媒体としての芸術家像を探ります。そこでは自由という…

【人生に盟友を!】人生の名優たちについて

人生に盟友を!その人物はまた名優にもなることでしょう。(2018.9.3-11.27) キーワード:盟友、名優、時代、人生 人生の盟友を―― 《ベルサイユのばら》による備給 《東京ラブストーリー》による備給 人生の盟友/名優を増やしたい!

【「実証済みのノウハウ」の胡散臭さ】実証と実験の現場を検める

「実証」と「実験」とでは言い方として効果が違っています。「実証実験」などとまとめられていたりすることもありますが、それらはわたしたちの生活の実際と一致することが賭けられているようでありながら、どこか〈別の世界〉の話題のようにも感じられます…

【共感できないからダメ】評価と投影【ダメなわたしを愛してください】

何かを評価するとき、ひとはときに自らの主観的なものを根拠にして「自分はそれに共感できないからダメなもの」だという評価を下したりします。とはいえ、そのような評価者は、その評価によって何かしらメッセージを込めてしまってはいないでしょうか。 キー…

【トラウマとの格闘】奈落との付き合い【人生を使用する】

人生はうまくいかない。何かが自由をせき止めている。その何かとはトラウマのことだ。そのトラウマを見て見ぬふりはできない。付き合わねばならない。おそらく、わたしたちが何気なく使っている「個性」という言葉も、トラウマとの付き合い方への名状に違い…

【コンプライアンス意識批判】リテラシーからコミュニケーション能力へ

合理性、リテラシー、コンプライアンス意識。社会で求められがちなものを並べてみたとき、どうにも堅苦しいのは何故か。そもそもリテラシーはそんなに大事なのか?実はこっそりヤバいものなんじゃないか?――なんて疑いを抱いた末にコンプライアンス精神批判…

SEO対策によって想定された感動主体のフラットさについて

生産性やクリエイティブであることの重要性が説かれています。そこで行き交うメッセージを目にして感じたところがあったので、ざっくりと書いてみました。キーワード:感動の一元化、合理性

図書『いつかすべてが君の力になる』:本番のために練習があるのではなく、練習のために本番がある

声優の梶裕貴の本を読んで、思いがけず含蓄のある言葉を見つけました。【勉強や練習】と【試験や本番】とがあり、前者は後者のためになされるという認識が通例です。しかしそれはむしろ逆なのではないか。結局のところ【勉強や練習】の〈場〉こそが大元なの…

【キャラは誰を相手に話しているのか】想像力と声の演技

あるゲームのキャラソンを聴いて、そこで声優がキャラになりきってセリフを言うくだりがありました。わたしはそれを聴いて違和感を覚えたのです。その違和感について書きます。キーワード:カント、想像力、ニーチェ、深淵、ガラス キャラソンとは何か ギャ…

女の夢園と男の飛翔――竹宮恵子『ウィーン幻想』より

竹宮恵子の『ウィーン幻想』を読むと、竹宮流の男と女の本質が立てられています。そこからはどのような含みが読解できるのか。わたしの関心は彼女の独特な語彙――「夢園」や「飛翔」――などの、〝概念としての可動範囲〟へと向かいました。むろん、ここで述べ…

It seems to me 〜〈欲動〉イメージのスクリブル

欲望はわかります。しかし欲動ってなんでしょうか。ちょっとつかみ辛さがあるので、肉付けしてみようと思います。そういう記事です。(2018/09/26-11/09) 欲動ってなんぞや? 人称的な欲望と非人称的な欲動 「ノる/乗られる」感覚 フロイトの使用例 欲望主体…

【〈私〉と〈仏〉の地続き感】『快慶・定慶のみほとけ』展から

2018年11月7日、ぼくは東京国立博物館で開催されている『京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ』展を観に行きました。 人文系の知識がちょっぴりあるものの、日本史にも仏教美術にも通じていないぼくが何を感じたのか。それをまとめてみます。 超俗と還俗を促…

ドラマ『漱石悶々』:男性文学と女性の成長

ドラマ『漱石悶々 夏目漱石最後の恋 京都祇園の二十九日間』(2016)を見て思ったこと。 私は学部生時代にサブカルチャーの文学という講義を受けていた。そこで先生はこう言っていた。 「今では男性の成長は描けなくなっています。女性の成長物語だけが描けて…

タイムラインに飛び交うわたしたちのブーメランっぽさ

ブーメランを投げないではいられないという認識から、「ブーメラン×タイムライン」のカップリングによって見えてくるレトリカルな現実認識について考えたところをまとめてみました。ブーメラン遊びをするための指導要綱的なもの。