疑似啓発論考
人生に盟友を!その人物はまた名優にもなることでしょう。(2018.9.3-11.27) キーワード:盟友、名優、時代、人生 人生の盟友を―― 《ベルサイユのばら》による備給 《東京ラブストーリー》による備給 人生の盟友/名優を増やしたい!
何かを評価するとき、ひとはときに自らの主観的なものを根拠にして「自分はそれに共感できないからダメなもの」だという評価を下したりします。とはいえ、そのような評価者は、その評価によって何かしらメッセージを込めてしまってはいないでしょうか。 キー…
人生はうまくいかない。何かが自由をせき止めている。その何かとはトラウマのことだ。そのトラウマを見て見ぬふりはできない。付き合わねばならない。おそらく、わたしたちが何気なく使っている「個性」という言葉も、トラウマとの付き合い方への名状に違い…
合理性、リテラシー、コンプライアンス意識。社会で求められがちなものを並べてみたとき、どうにも堅苦しいのは何故か。そもそもリテラシーはそんなに大事なのか?実はこっそりヤバいものなんじゃないか?――なんて疑いを抱いた末にコンプライアンス精神批判…
ブーメランを投げないではいられないという認識から、「ブーメラン×タイムライン」のカップリングによって見えてくるレトリカルな現実認識について考えたところをまとめてみました。ブーメラン遊びをするための指導要綱的なもの。
ブーメランは遊びです。投げると、投げた人の元へと戻ってきます。しかし投げたことを知らないままにそれが返ってきたなら、痛い思いをする。ーーそのようなわたしたちの放っているブーメランについて書きました。 ブーメランを追いかける 事例M 事例R ブー…
おれの人生のうちには、他のひとがそうであるように、雷に打たれたかのような衝撃的な気づきがいくつかあった。 ここではそのなかのひとつを書いてみる。自分の顔と、異性との関係仕方に関してのエピソードと、その教訓について。
「リア充/非リア充」という言葉で現実を考える彼らのマジメさについて書きました。 「そんなのどっちでもいーじゃん!」と考えるひとをこらしめてやりたい気持ちもあります。 リア充とリア充批判 想像力と創造力 心理学的モデルおよびストーリー 「どっちで…
「常識的に考えて、非合理であれ」と主張する啓蒙書があればどんな書かれ方をするだろう…?。わたしはしばしば「変な奴」呼ばわりを受けるので、常識的だとか合理的な判断だとかに不信感があるのです。つまり、自分の自然体がなかなか自然なこととして評価さ…