2018-01-01から1年間の記事一覧
年の瀬に脳裏に去来するままにエッセイ調で字数を決めて書いてみた、800字デッサンのシリーズ第8回目。仕事を辞めたその余韻のなかで考えたことについて。別れることで感謝できるってこと。それでは、以下より。
指の赴くままにエッセイ調で字数を決めて書いてみるシリーズの7回目。字数は800字。ふわふわと書いてみました。ひとりの7歳児の経済活動への嫌悪感についてを後付け的に説明してみる試み。それでは、以下より。
即興的にエッセイ調で字数を決めて書くシリーズの6回目。字数は800字。この記事では〝学ぶこと〟が〝真似ぶこと〟であると言われる理由を書きました。使用例を使用することの意味について、ですかね。以下より。
即興的にエッセイ調で字数を決めて書くシリーズの5回目。字数は800字。この記事では恋愛関係に格言調で言われる、似た者同士がいいのかどうかということをネタに自他関係の心得的なものを書きました。以下より。
冒険的にエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズの4回目。字数は800字。勢い込んで書いてみます。この記事では素朴な読者の文の読み方をネタにして、読者になるとは何なのかについてを。以下より。
冒険的にエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズの3回目です。字数は800字。相も変わらずスクリブルでもするような感覚で書いてみるノリ。書く内容は世界観のことについてを。それでは以下より。
実験的にエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズの2回目です。字数は800字。相変わらずデッサン的な感覚で書いてみたいなぁというノリです。書く内容はSF作品の設定をネタに。それでは以下より。
どうも、ザムザです。試みにエッセイ調で字数をきっかり決めて書いてみるシリーズをはじめたく思います。字数は800字。デッサン的な感覚で書いてみたいなぁというノリです。書くことは即興で、それでは以下より。
『モリのいる場所』という芸術家の日常を扱った映画を観て考えさせられたこと。芸術家というものを言い表すのに主体という言葉では役不足だという観点から、デカルトやカントを経由して、自然を反映する媒体としての芸術家像を探ります。そこでは自由という…
人生に盟友を!その人物はまた名優にもなることでしょう。(2018.9.3-11.27) キーワード:盟友、名優、時代、人生 人生の盟友を―― 《ベルサイユのばら》による備給 《東京ラブストーリー》による備給 人生の盟友/名優を増やしたい!
「実証」と「実験」とでは言い方として効果が違っています。「実証実験」などとまとめられていたりすることもありますが、それらはわたしたちの生活の実際と一致することが賭けられているようでありながら、どこか〈別の世界〉の話題のようにも感じられます…
何かを評価するとき、ひとはときに自らの主観的なものを根拠にして「自分はそれに共感できないからダメなもの」だという評価を下したりします。とはいえ、そのような評価者は、その評価によって何かしらメッセージを込めてしまってはいないでしょうか。 キー…
人生はうまくいかない。何かが自由をせき止めている。その何かとはトラウマのことだ。そのトラウマを見て見ぬふりはできない。付き合わねばならない。おそらく、わたしたちが何気なく使っている「個性」という言葉も、トラウマとの付き合い方への名状に違い…
合理性、リテラシー、コンプライアンス意識。社会で求められがちなものを並べてみたとき、どうにも堅苦しいのは何故か。そもそもリテラシーはそんなに大事なのか?実はこっそりヤバいものなんじゃないか?――なんて疑いを抱いた末にコンプライアンス精神批判…
生産性やクリエイティブであることの重要性が説かれています。そこで行き交うメッセージを目にして感じたところがあったので、ざっくりと書いてみました。キーワード:感動の一元化、合理性
声優の梶裕貴の本を読んで、思いがけず含蓄のある言葉を見つけました。【勉強や練習】と【試験や本番】とがあり、前者は後者のためになされるという認識が通例です。しかしそれはむしろ逆なのではないか。結局のところ【勉強や練習】の〈場〉こそが大元なの…
あるゲームのキャラソンを聴いて、そこで声優がキャラになりきってセリフを言うくだりがありました。わたしはそれを聴いて違和感を覚えたのです。その違和感について書きます。キーワード:カント、想像力、ニーチェ、深淵、ガラス キャラソンとは何か ギャ…
竹宮恵子の『ウィーン幻想』を読むと、竹宮流の男と女の本質が立てられています。そこからはどのような含みが読解できるのか。わたしの関心は彼女の独特な語彙――「夢園」や「飛翔」――などの、〝概念としての可動範囲〟へと向かいました。むろん、ここで述べ…
欲望はわかります。しかし欲動ってなんでしょうか。ちょっとつかみ辛さがあるので、肉付けしてみようと思います。そういう記事です。(2018/09/26-11/09) 欲動ってなんぞや? 人称的な欲望と非人称的な欲動 「ノる/乗られる」感覚 フロイトの使用例 欲望主体…
2018年11月7日、ぼくは東京国立博物館で開催されている『京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ』展を観に行きました。 人文系の知識がちょっぴりあるものの、日本史にも仏教美術にも通じていないぼくが何を感じたのか。それをまとめてみます。 超俗と還俗を促…
ドラマ『漱石悶々 夏目漱石最後の恋 京都祇園の二十九日間』(2016)を見て思ったこと。 私は学部生時代にサブカルチャーの文学という講義を受けていた。そこで先生はこう言っていた。 「今では男性の成長は描けなくなっています。女性の成長物語だけが描けて…
ブーメランを投げないではいられないという認識から、「ブーメラン×タイムライン」のカップリングによって見えてくるレトリカルな現実認識について考えたところをまとめてみました。ブーメラン遊びをするための指導要綱的なもの。
ブーメランは遊びです。投げると、投げた人の元へと戻ってきます。しかし投げたことを知らないままにそれが返ってきたなら、痛い思いをする。ーーそのようなわたしたちの放っているブーメランについて書きました。 ブーメランを追いかける 事例M 事例R ブー…
近ごろ、鏡リュウジ(1968-)というひとの仕事に関心があって、ちょこちょことつまみ読みしています。その過程で『魂の西洋占星術』(1991)という本を読んだのですが、そこで占いの「当たる・当てる」ことに関する興味深いことが書かれていて、そのことについて…
東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』を読みました。その本から何を読み取れるのか。そして何を読み込めるのか。言い換えれば、本に何を読み、何を読まれるのか。自閉症を巡る発見について。 はじめに:自他の違いの手触り 自閉症について――音の伴わない…
映画『クワイエット・プレイス』を観ました。 とにかく音を立てるのはマズいと、予てより観ていた予告映像で訴えられていたわけです。音を立てるとどうなるというのか――ってのが、わたしが観客となった動機。 起りーーOf the quiet place(その静寂について…
おれの人生のうちには、他のひとがそうであるように、雷に打たれたかのような衝撃的な気づきがいくつかあった。 ここではそのなかのひとつを書いてみる。自分の顔と、異性との関係仕方に関してのエピソードと、その教訓について。
「リア充/非リア充」という言葉で現実を考える彼らのマジメさについて書きました。 「そんなのどっちでもいーじゃん!」と考えるひとをこらしめてやりたい気持ちもあります。 リア充とリア充批判 想像力と創造力 心理学的モデルおよびストーリー 「どっちで…
文章の書き方を見直してみました。いまだに〈読みやすさ〉と〈分りやすさ〉とを折衷させるのかにコンプレックスがあるので、ブログの記事の書き方を考えるなかで、いろいろ発見したく思います。――そうした覚悟の宣言文。
この記事で言及しているのは中動態、【紅蓮の弓矢】【二ヶ月後の君へ】【紅蓮の座標】――Linked Horizon、【見えざる腕】――Sound Horizon、『進撃の巨人』、『ジョジョの奇妙な冒険』(第五部)。長くなっていますが、興味のある話題へと、目次から適当に飛ん…